集中している人の姿はとても美しいと思いませんか?

物事に集中している人を美しく感じたことはありませんか?ある種、無防備な姿に心ひかれるのかもしれません。本を読んでいる人も、本当に本に没頭している人と、本を読んでいる自分を見てほしい人とでは、その集中力の美しさが全く違います。職人さんがかっこいいのは集中して作業をしているからですよね。接客業の人より、職人の方が魅力的なのは“集中力”のたまものなのです。

人の目を気にする事ほど、馬鹿げたことはありません。また、人目を気にして行った行為には何の価値もなく、たとえば子育てならば、子どもはまっすぐ育ちません。人の目を気にするということは、百害あって一利なしです。しかし、自分の目的を達成するために利用するのは良いことです。たとえば本ですね。本好きになるために、本を読んでいる人のイメージは美しい。その一員になりたいので本を嫌々読んでみる。もちろん人目のあるところでです。

動機はなんでも、いずれ本の世界にぐっと引き込まれる瞬間が来ます。いずれ来る集中のために頑張ってみて下さい。遠くであなたに憧れてじっと見つめている人が居るかもしれません。

集中力というのは、人に素晴らしい力を沸き立たせます。作品や知識と、とにかく周りが圧倒されるものがります。特別集中力の高い人は必ず社会で成功を収めています。そのくらい人間の集中力は素晴らしいのです。ですから、あなたの魅力を引き出すのも、あなた自身の集中力がものを言います。人前でも簡単にそれを引き出すには、読書です。やっぱり本なのです。

物語の中に入り込んでいる自分は、その非現実から抜け出た時に、得も言われぬ気持ちよさが残るでしょう。数年に一度、寝て起きたら、そこがどこで、朝か夜かもわからず、時計を必死で探したり、携帯でカレンダーを見たりすることがありませんか?あれは、ぐっと深い眠りについて目覚めたときにまるで今産まれてきたかのような意識なのだと思います。心理の世界では眠りは死を意味します。目覚めは再生です。

その深い眠りのような集中力をもって本を読むと、顔を上げた時、どこに自分がいるのか一瞬わからない時があります。何度も山手線を乗り過ごしてぐるぐる回っていたという人も多いでしょう。物語に入り込みすぎて、驚いた場面で大声が出ることもあります。私は、本への目覚めがドフトエフスキーの罪と罰でした。難しそうな本を読むことに憧れたから手に取ったのです。

私はまんまと本の世界に引き込まれ、帰宅途中のバスの中で読んでいたのですが、主人公が斧で老婆を殺すシーンがあまりにも突然で、心の準備ができていなかったという事もあり、さらに集中して読んでたんだと思います。「ひーーっ!」と自分が斧を振り上げられたかのような大声を出した経験があります。他の乗客には奇異な目で見られていました。その視線で、私は今バスに乗り帰宅しているんだと認識できたのです。

その時は奇異な目で見られることなどなんともなかったのです。それは、集中して本の世界に入っていたことの方が問題にならないくらい気持ちいいことだったからです。「あななたち、こんなに集中したことあるの?」と自慢したいくらいでした。あの入り込みをもう一度味わいたくて本を読み続けていると言ってもいいくらいです。そして、一人でも多くの人に、あの快感を味わってもらいたいと思っています。

自分が眺める自分は、ただ本を読む人ですが、他人から見るあなたは、本に集中する美しい人となるでしょう。それが携帯端末では全く効果がありません。なぜなら、受け身の作業だからです。自分から、能動的に本を掴みにいく、文字を掴みにいく姿が特別美しいのですよ。